シーア派の検索結果 |
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シーア派
- Shi'a《イスラム教》〔マホメットのいとこで娘婿{むすめむこ}である第4代カリフのアリ(Ali)のみをマホメットの真の後継者{こうけいしゃ}と考える、イスラム教でスンニ派{は}に次いで大きい宗派{しゅうは}。従{したが}ってラシダン(Rashidun)のカリフのうち最初{さいしょ}の3人の正統性{せいとう せい}を認{みと}めない点で、スンニ派{は}と異{こと}なる。シーア派{は}はさらに三つに分かれており、そのうちの最大{さいだい}の12イマーム派{は}(TwelverまたはImamite)はイラン、アゼルバイジャン、バーレーン、イラクで最大{さいだい}の宗派{しゅうは}を形成{けいせい}する。◆【参考】Sunni〕
- Shi'ah《イスラム教》〔マホメットのいとこで娘婿{むすめむこ}である第4代カリフのアリ(Ali)のみをマホメットの真の後継者{こうけいしゃ}と考える、イスラム教でスンニ派{は}に次いで大きい宗派{しゅうは}。従{したが}ってラシダン(Rashidun)のカリフのうち最初{さいしょ}の3人の正統性{せいとう せい}を認{みと}めない点で、スンニ派{は}と異{こと}なる。シーア派{は}はさらに三つに分かれており、そのうちの最大{さいだい}の12イマーム派{は}(TwelverまたはImamite)はイラン、アゼルバイジャン、バーレーン、イラクで最大{さいだい}の宗派{しゅうは}を形成{けいせい}する。◆【参考】Sunni〕
- Shia《イスラム教》〔マホメットのいとこで娘婿{むすめむこ}である第4代カリフのアリ(Ali)のみをマホメットの真の後継者{こうけいしゃ}と考える、イスラム教でスンニ派{は}に次いで大きい宗派{しゅうは}。従{したが}ってラシダン(Rashidun)のカリフのうち最初{さいしょ}の3人の正統性{せいとう せい}を認{みと}めない点で、スンニ派{は}と異{こと}なる。シーア派{は}はさらに三つに分かれており、そのうちの最大{さいだい}の12イマーム派{は}(TwelverまたはImamite)はイラン、アゼルバイジャン、バーレーン、イラクで最大{さいだい}の宗派{しゅうは}を形成{けいせい}する。◆【参考】Sunni〕
- Shia [Shiah] Islam [Muslim]《イスラム教》〔【同】Shiah〕
- Shiah《イスラム教》〔マホメットのいとこで娘婿{むすめむこ}である第4代カリフのアリ(Ali)のみをマホメットの真の後継者{こうけいしゃ}と考える、イスラム教でスンニ派{は}に次いで大きい宗派{しゅうは}。従{したが}ってラシダン(Rashidun)のカリフのうち最初{さいしょ}の3人の正統性{せいとう せい}を認{みと}めない点で、スンニ派{は}と異{こと}なる。シーア派{は}はさらに三つに分かれており、そのうちの最大{さいだい}の12イマーム派{は}(TwelverまたはImamite)はイラン、アゼルバイジャン、バーレーン、イラクで最大{さいだい}の宗派{しゅうは}を形成{けいせい}する。◆【参考】Sunni〕
- Shiites《回教》〔イスラムの2大宗派{たいそう は}の一つ(歴史的{れきし てき}にはアラブがスンニ派{は}、ペルシャ・現イランがシーア派{は}。イランの国教{こっきょう}はシーアの12イマーム派{は})。ウマイヤ朝「カリフ」の権威{けんい}を否定{ひてい}し(カリフ制を認{みと}めない)、「イマーム」(アリーの後継者{こうけいしゃ}、rightful leader)が権威{けんい}を持つ。Shiah=Shiite=Shi'ite。Shiahの語源{ごげん}は、Shi:'at Aliy(アリーを支持{しじ}する党派{とうは})。◆【参考】Sunna Muslim(スンナ派{は})〕
シーア派を含む検索結果一覧
該当件数 : 22件
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シーア派とスンニ派のイスラム教徒
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シーア派に支配された
【形】- Shiite-dominated〔【参考】Shiite〕
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シーア派の
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シーア派の主要政党
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シーア派の政府
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シーア派の部族長
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シーア派アラブ人
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シーア派モスク
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シーア派嫌い
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シーア派指導者
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シーア派教徒
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シーア派教徒の
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シーア派聖廟
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12イマーム・シーア派
Twelve-Imam Shiites《回教》〔イスラム・シーア派{は}の中の最大宗派{さいだい しゅうは}。イラクの国教{こっきょう}。アリー以降{いこう}の12人のイマームを認{みと}める。第12代のムハンマド・アルムンタザル(ムハンマド・アル・マッハディ、-874,-872?)は子どもがいなかったので、イマームは彼で絶{た}える。しかし第12代イマームは死んだのではなく、「隠{かく}れ」の状態{じょうたい}に入っているのだと解釈{かいしゃく}し、世の終末{しゅうまつ}に再臨{さいりん}するとする。その間はイスラム法学者{ほうがくしゃ}が人々{ひとびと}に正しいイスラムを示{しめ}す。ホメイ二師{にし}(イラン革命{かくめい})の「法学者{ほうがくしゃ}による統治{とうち}」はこれを指す。◆【参考】Shiite Muslim〕 -
イスラム教シーア派
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イスラム教シーア派の指導者
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イスラム教シーア派政権
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スンニ派とシーア派
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反政府のシーア派
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殉教の日の事件シーア派
- Karbala martyrdom〔イスラムのスンニ派{は}・シーア派分裂{は ぶんれつ}を象徴{しょうちょう}する戦闘{せんとう}。ウマイヤ軍(スンニ)がハサン軍(シーア)を全滅{ぜんめつ}させた。(AD680.10.10、イスラム暦{れき}1月10日、イラク・ユーフラテス河畔{かはん}Karbalaで)。アリー(Ali, 第4代カリフ、マホメットのいとこ、マホメットの娘のファーティマの夫)、とハサン(Hasan, アリーの長男{ちょうなん})が、シリアの太守{たいしゅ}「ウマイヤ家」のムアーウィアによって暗殺{あんさつ}される。アリーの次男{じなん}フサイン(Husayn, ハサンの弟)が挙兵{きょへい}したが、ムアーウィアの陰謀{いんぼう}でカルバラーKarbalaで全滅{ぜんめつ}。イスラム暦{れき}1月10日がシーア派{は}の「殉教{じゅんきょう}の日」に。ウマイヤ家はイスラム最初{さいしょ}の王朝{おうちょう}・ウマイヤ朝を興{おこ}す。◆【参考】Sunni Muslim(ムスリム・スンニ派{は}); Shiah Muslim(ムスリム・シーア派{は}); Ali ; Imam(シーア指導者{しどうしゃ}の称号{しょうごう}); ulama(シーアの法学者{ほうがくしゃ})〕
- martyrdom at Karbala〔イスラムのスンニ派{は}・シーア派分裂{は ぶんれつ}を象徴{しょうちょう}する戦闘{せんとう}。ウマイヤ軍(スンニ)がハサン軍(シーア)を全滅{ぜんめつ}させた。(AD680.10.10、イスラム暦{れき}1月10日、イラク・ユーフラテス河畔{かはん}Karbalaで)。アリー(Ali, 第4代カリフ、マホメットのいとこ、マホメットの娘のファーティマの夫)、とハサン(Hasan, アリーの長男{ちょうなん})が、シリアの太守{たいしゅ}「ウマイヤ家」のムアーウィアによって暗殺{あんさつ}される。アリーの次男{じなん}フサイン(Husayn, ハサンの弟)が挙兵{きょへい}したが、ムアーウィアの陰謀{いんぼう}でカルバラーKarbalaで全滅{ぜんめつ}。イスラム暦{れき}1月10日がシーア派{は}の「殉教{じゅんきょう}の日」に。ウマイヤ家はイスラム最初{さいしょ}の王朝{おうちょう}・ウマイヤ朝を興{おこ}す。◆【参考】Sunni Muslim(ムスリム・スンニ派{は}); Shiah Muslim(ムスリム・シーア派{は}); Ali ; Imam(シーア指導者{しどうしゃ}の称号{しょうごう}); ulama(シーアの法学者{ほうがくしゃ})〕